ごあいさつ
 
 
 
 

 弊社の歴史は文明開化の最中まで遡ります。創業者の石黒兵太郎は230年続いている米穀商・木舟屋の9代目ですが、江戸時代に宿場町で栄えた故郷・富山県石動町の、鉄道・北陸線延伸に伴う衰退を憂慮して、「町興しの新産業創出」に燃えておりました。そこで、洋風建築に多用されだした煉瓦に着目、堺から職工を招いて4年間難渋しながらも、その製造を本軌道乗せし、「石黒商店」を明治26年(1893年)に個人創業しました。
 元々新材料の煉瓦は欧州からの輸入品でありましたが、1870年頃から国内でも生産が始まっており、富岡製糸所や北海道庁に使用され大普及していきました。そして、弊社の最初の150万個の大量納入は高岡紡績轄H場であって、北陸線の倶利伽羅トンネル・小矢部川鉄橋等でも実績を残し、「地域振興の理想」は実現しましたが、創業者は明治39年に47歳で亡くなっております。因みに、弊社の煉瓦事業は石動町の基幹産業に発展していき、昭和20年代まで石動駅の貨物取扱量のトップを占めてきた訳であります。
 石黒兵太郎は、工事請負業や土管・タン版注入電柱の製造にも事業拡大し、それを当時の幹部3名が結束して継承しておりますが、大正に入り組織も「石黒合名会社」に近代化を図って富山・石川両県の企業基盤を固めていきました。そして、昭和15年には富山県から富山商船学校舞鶴寄宿舎の工事を受注し、遠く京都府に進出を果たしております。
終戦後、昭和21年に戦災復興工事を目途に福井市に進出、建設事業の再編から二分割されて、同23年6月に福井市を本社とする「石黒建設株式会社」がここに誕生しました。そして創立から12日後には福井大震災に遭遇する不幸に見舞われましたが、不撓不屈の努力と各方面からのご支援ご鞭撻によって大ピンチを乗り越えております。
 その後、弊社は独自の特色を求め「我が道を行く方針」で前進を重ね、北陸三県に京都府を事業エリアとして実績を積み上げていくと共に、雪国脱出方針から昭和47年の大阪を皮切りに東京・名古屋にも進出し、同61年には北陸圏と大都市圏をリンクするネットワークが完成、特色ある中堅ゼネコンとして基盤が固まっていきました。
 平成5年に創業100周年を迎えましたが、その後は予期せぬ幾多の試練に直面しながらも、創業者の「開拓者魂」を堅持して一致団結の下、何とか現在の姿に発展を遂げることが出来ました。これ偏に各地域の多くのお客様各位のお引き立ての賜であり、誠に有難く深謝申し上げる次第でございます。
 弊社の現状は、規模は決して大きくありませんが、建築・VR(大改修・解体等)・土木・舗装の実績はバラエティーに富んでおり、高度多様化する時代ニーズの技術研鑽に励み、「仕事に魂を」をモットーに確かな品質を確保して、企業のブランド評価を高めながら、「地域で最も信頼される建設会社」を目指しております
 このような変遷の中、おかげさまで弊社は本年創業125周年・創立70周年の節目を迎えましたが、今後は次の150年に向かって新たな気概で全社が切磋琢磨すると共に、「地域に根差し 先進の技術で 未来を拓く」を合言葉に、皆様のご期待にお応えしたいと決意しております。何卒変わらぬ格別のご愛顧を賜りますよう、謹んでお願い申し上げる次第であります。
  代表取締役社長 齊藤 泰輔  


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