おかげさまで石黒建設は
創業130周年を迎えました。
幾多の困難を乗り越え、今日の発展を遂げることができましたのも、ひとえにお客様、
地域の皆様方のご支援のたまものであり、心から感謝申し上げます。
当社は130年の蓄積を土台に、決意を新たにし、創業の心である「仕事に魂を」をモットーに、
地域社会に役立つ企業を目指し、全社一丸精進を重ねて参りますことを誓います。
1893
明治26年4月
富山県石動町(現小矢部市)福町において、米穀商を営む木船屋の九代目・石黒兵太郎が、同町上り屋敷で数年前から北陸鉄道(旧JR北陸本線)の建設計画等のニーズをとらえて煉瓦事業に着手し、商号を「石黒商店」とした。また煉瓦の販売促進のため、小規模の煉瓦工事は自店で施工するようになり、この施工部門が石黒組と呼ばれるようになる。
1894日清戦争
1895明治28年
- 高岡紡績株式會社
1897明治30年
- 小矢部川橋脚
1906
明治39年1月
創業者の石黒兵太郎死去により、甥の従之が娘婿となって兵太郎を襲名し家督を相続するが、煉瓦事業は当時の幹部であった水牧平助・片岡藤太郎・前田次三郎(いずれも初代)の三人に任された。
明治41年には「石黒商店」の商号登記を行い、商号使用者は水牧平助となる。この頃二代目兵太郎は、事業を当時の幹部三名に委譲し東京に移住、米穀商・北国屋を始める。
1912大正天皇が即位する
1919ヴェルサイユ条約
1920
大正9年1月
水牧平助(初代)死去のため、片岡藤太郎(初代)が代表に就任。
1925
大正14年3月
水牧平助・片岡藤太郎(いずれも二代目)・前田次三郎(初代)を社員とし、「合名会社石黒商店」を設立する。出資金は各17,500円、計52,500円で、代表社員に前田次三郎(初代)が就任する。なおシンボルマークは三名の結束を表す「三ツ輪」を使用する。
1926昭和天皇が即位する
1930
昭和5年7月
商号を「石黒合名会社」に改称する。
1931満州事変
1932昭和7年
- 山中温泉総湯
1933
昭和8年1月
前田次三郎(初代)が死去につき、長男の満寿男が次三郎を襲名し、事業継承の幹部に加わる。代表社員に水牧平助(二代目)が就任し、近畿へも進出する。
- 神通中学校
1935昭和10年
- 七尾警察署
1937
昭和12年3月
煉瓦部門を分離独立させ、石黒工業株式会社(現石黒煉瓦工業株式会社)を設立する。
- 高岡中学校
1938昭和13年
- 石川療養所
1939第二次世界大戦
1942
昭和15年
富山県から富山商船学校舞鶴宿舎を受注し、これを契機として舞鶴出張所を開設。戦後は米軍キャンプや官公庁開催の継続受注もあったが、昭和34年3月工事量の減少に伴い出張所を閉鎖。
1943
昭和18年4月
創業50周年を迎える。
1945広島と長崎へ原子爆弾が投下される
1946
昭和21年4月
セメント・陶管販売部門を分離独立させ、中越産業株式会社(現石黒産業株式会社)を設立する。
1947
昭和22年10月
敦賀セメントから工場建築工事受注をきっかけとして敦賀セメント原石山表土剥工事の受注。27年には同社原石採石工事を始める。
1948
昭和23年6月
建設部門を分離独立させ、石黒建設株式会社(本社・福井市佐佳枝中町)と石黒土木興業株式会社(本社・富山県石動町、現前田建設株式会社)の二社を設立する。当石黒建設株式会社は、資本金200万円、代表取締役社長に片岡善夫、同専務に齊藤兵衛が就任し、福井・敦賀・舞鶴に拠点を置く。16日の設立から12日後に、北陸地方を襲った福井大地震(マグニチュード7.1)により、壊滅的な打撃を受けるが、不屈の努力で事業の前進をはかる。なお、シンボルマークは石黒を表わす「六つのクで囲まれた石」を使用する。
- 福井震災
1949
昭和24年4月
代表取締役社長に片岡藤太郎(二代目)が就任する。
1952
昭和27年3月
代表取締役会長に水牧平助(二代目)、同社長に前田次三郎(二代目)が就任し、富山支店(現小矢部支店)を開設する。
1953NHK がテレビ放送を開始する
- 乾徳高校
1954
昭和29年8月
資本金を1,000万円に増資する。
1955
昭和30年4月
金沢出張所(現金沢支社)を開設する。
1957
昭和32年2月
代表取締役社長に水牧平助(二代目)が就任する。
1958東京タワーが完成する
1959
昭和34年4月
金沢出張所を金沢支社に改称する。
- 福井県警察本部
1960
昭和35年3月
金沢支社を金沢本店に改称する。
- 大野市役所
1961
昭和36年2月
代表取締役社長に前田次三郎(二代目)が就任する。4月に福井市志比口町に本社社屋を新築し移転する。
- 小浜小学校
1962
昭和37年2月
資本金を5,000万円に増資する。
- 石川県警察本部
1963
昭和38年2月
代表取締役会長に前田次三郎(二代目)、同社長に齊藤兵衛が就任し、資本金を1億円に増資する。
1964東海道新幹線が開業する
東京オリンピックが開催される(アジア初)
1971
昭和46年4月
社内報「ブラックストーン」創刊。PDFで表示
1972
昭和47年12月
資本金を2億円に増資する。12月に大阪営業所(現大阪支社)を開設し、代表取締役社長の齊藤兵衛が死去につき、長男の副社長・齊藤博が社長に就任する。
1976
昭和51年1月
東京営業所(現東京支社)を開設する。
1977
昭和52年2月
資本金を3億円に増資する。
1979昭和54年
- 小矢部蟹谷小学校
1981
昭和56年3月
本店を金沢より福井に移し、金沢本店を金沢本社に改称する。
1983東京ディズニーランドが開園する
1984日本電信電話公社が民営化(NTT)する
1985
昭和60年4月
金沢本社を金沢支社に改称する。
1985
昭和60年11月
資本金を3億5,040万円に増資する。
1986バブル景気
1986
昭和61年6月
第1回私募債(普通社債)を2億円発行し、12月に名古屋営業所(現名古屋支店)を開設する。
1987携帯電話サービスが開始する
国鉄分割民営化
1988
昭和63年3月
社員株主を集約し、社員持株会を発足させる。7月に資本金を4億8,000万円に増資する。
1989消費税(3%)が開始する
ベルリンの壁崩壊
1990
平成2年4月
福井市西開発に本社社屋を新築(第23回中部建築賞受賞)移転し、代表取締役副社長に齊藤孝夫が就任する。新たにCIを導入、シンボルマークは信頼の輪の拡がりを表わす「三つの連続円」を使用する。
1992
平成4年3月
6月に商法規定により太田昭和監査法人を選任する。第2回私募債(普通社債)7億円を発行する。
1993
平成5年3月
資本金を5億円に増資する。
- 宇奈月国際交流会館
1993
平成5年4月
創業100周年を迎える。
- モニュメント“天馬”除幕式
1995Windows95 が発売する
1995
平成7年2月
神戸営業所を開設する。
- 北陸銀行福井支店
1998長野オリンピックが開催される
1998
平成10年6月
創立50周年を迎える。
1999
平成11年12月
福井事業部がISO9002を認証取得
2000
平成12年
当社のOB会である石黒旧交会を発足。
2000
平成12年12月
名古屋支店を名古屋支社に昇格する。
2001ユニバーサル・スタジオ・ジャパン開園
2001
平成13年1月
代表取締役会長に齊藤博、代表取締役社長に齊藤孝夫が就任する。金沢支社・小矢部支社がISO9002認証取得する。
2001
平成13年6月
執行役員制度を導入する。
2003
平成15年7月
北陸支社を金沢市に新設し、小矢部支社を小矢部支店に改称する。
2003
平成15年11月
ISO9001全社統合する。
2004
平成16年10月
千葉営業所を開設する。
2006
平成18年12月
ISO9001とISO14001を統合して、総合マネジメントシステム(品質・環境)とした。
2008
平成20年3月
日新建設(株)の社名を石黒工建(株)に改称し、本社を小矢部市に移転する。
2008
平成20年5月
敦賀支店を敦賀営業所に変更する。
2008リーマンショック
2009
平成21年7月
東京本社を廃止し、福井本店・東京本店を福井支社・東京支社に改称する。組織再編により名古屋支社を名古屋支店に改称。
2011東日本大震災
2012東京スカイツリーが開業する
2014
平成26年6月
代表取締役副会長に齊藤孝夫、代表取締役社長に善木則夫が就任する。
千葉営業所を閉鎖する。
2015北陸新幹線の開業区間が
東京-金沢区間に延伸
2015
平成27年2月
神戸事務所を閉鎖する。
2016
平成28年4月
小矢部支店を小矢部営業所に改称する。
2016
平成28年6月
代表取締役会長に佃政春が就任する。
2017
平成29年4月
代表取締役会長に齊藤博が就任する。
2018
平成30年4月
創業125周年を迎える。