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2025年4月30日【求人】あなたも「ISHI・GROW」の仲間になりませんか



「独自の道」を拓くため、「有為なヒト」を求めています
私たちは創業133年目の企業、北陸3県つなぐ信用第一の「パートナー」です。
モットーは、北村西望先生の「たゆまざる 歩みおそろし カタツムリ」の銘です。
この北陸で生まれ育って、粘り強い体質と発展性を秘めた「イシ・グロウ」です。
創業者の石黒兵太郎は、地域の振興を目指し、祖業のレンガ事業に取り組みました。
売上ゼロで資金だけ出て行く4年間、「開拓者魂」を発揮し創業に漕ぎつけました。
「難局に際しては、先ず腹をくくり、全てを投げ打ち、事に体当たりせよ」でした。
永年のご愛顧のお陰様で、多くのお得意様から、有難い工事オファーが来ています。
残念ながら、担当する所長やスタッフが不足し、折角の受注機会をパスしています。
意欲あるエンジニアの皆さん、活躍ゾーンを「イシ・グロウ」で拡げてみませんか。
Would you like to join ISHI・GROW CORPORATION company?
創業者の横顔
石黒兵太郎は1860年に越中国石動町福町村で生まれ、米穀商の木舟屋の9代目でしたが、地域の産業興しのため新建築資材のレンガ事業に着手、4年間の悪戦苦闘の末に1893年に現小矢部市にて石黒商店を創業しました。高岡紡績・倶利伽羅隧道・四高等の実績を残し1906年に46歳で亡くなり、本年1月には120回忌法要を営んでいます。
3名の幹部が継承
創業者の遺志を3名の幹部(水牧・片岡・前田)が引き継ぎながら、建築・木材事業も本格化して、関東大震災以降は加速させ、北陸3県における有力建設会社の地歩を固めて行きました。代替わりした3名の幹部が事業の近代化を図って、石黒合名会社に組織変更し、1940年に軍港・舞鶴に進出しましたが、1945年に終戦を迎えました。
戦後の歩み
建設事業を二社に分割し、1948年6月に福井市で石黒建設株式会社を創立。直後の福井大震災で打撃を受けたが、不屈の開拓者魂で逆に基盤を固めながら、北陸3県内で施工実績を積み上げました。雪国脱出から1972年に大阪へ進出、順次東京・名古屋にも進出して、1986年に北陸圏と三大都市圏をネットする中堅ゼネコンとなり、幾多の時代の変遷を乗り越えて現在に至っています。
本年のスローガン
本年は昭和100年、世界は激動中であり、正に難局を迎えています。当社は企業理念「我が社の永続的な発展と自らの幸福を求め」に則り、伝統の開拓者魂を堅持の上、施工会社として、「各施工ポイントを押さえ本分完遂を」を掲げ、「NEVER SAY NEVER」を合言葉に、幅広いリスクの想定管理に努め、プロの責任を掘り下げ、全員がレベルアップに取り組んでいます。
石黒建設グループの概要
営業種目/建築・土木・舗装工事の企画・設計・施工、営業テリトリー/北陸圏・首都圏・近畿圏・東海圏、資本金/本体5億円 (石黒住建・石黒工建: 各5千万円)、代表者/会長CEO 齊藤 博、社長COO 齊藤泰輔、グループ売上高/225億円、グループ役職員/220名、株主/117名(執行役員持株会・社員持株会あり)、取引銀行/北陸・福井・北國・三井住友・三菱UFG・富山・石動信金、監査人/EY新日本有限責任監査法人、社内報/ブラックストーン(通算第629号、1971年4月から毎月発行)
拠点所在地
本社・福井支店/福井市西開発3、敦賀営業所/福井県敦賀市栄新町、金沢支店/金沢市増泉5、富山支店/富山市大手町3(朝日大手町ビル)、小矢部営業所/富山県小矢部市芹川、東京支店/東京都中央区八丁堀2(八丁堀第一生命ビル)、大阪支店/大阪市中央区船越町2、名古屋支店/名古屋市中村区椿町(丸元ビル)、工事協力会/6地域にそれぞれ設置済(会員会社170名)
人財の募集要項
中途採用対象 | 向上心とプロ意識の旺盛な建築(10名)・土木(4名)・設計(2名)・電気(2名)・設備(2名)の技術者、合計20名 |
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採用年齢 | 概ね25歳~60歳 |
ライセンス | 1級または準じる有資格者 |
特別待遇 | キャリアに応じ充分評価し優遇します |
年俸 | 概ね現年俸の10%以上の増 |
入社時期 | 概ね向こう1年以内 |
勤務地 | 福井県(福井・敦賀) 石川県(金沢) 富山県(富山・小矢部) 北陸圏の希望地にて勤務。 北陸圏と三大都市圏の適宜交流も歓迎。 |